決定版 三島由紀夫全集〈20〉短編小説(6)
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「英霊の声」は聞こえるか |
本全集は後期短編21編を収録したものである。ここでは「英霊の声」を取りあげてみたい。この作品は《文芸》昭和41年6月号に掲載されたものである。同年同月発行の作品集『英霊の声』(河出書房新社)にはこの他に「憂国」、戯曲「十日の菊」が収められていて「二・二六事件三部作」と言われている。「憂国」が映画化され、バレエにもなり広く知られているが、この「英霊の声」は能の修羅物の様式を借り、地味な作風である。作中の帰神の会長木村先生がワキの僧、失明の少年川崎君がワキヅレ、二・二六事件の青年将校が前ジテ、特攻隊員が後ジテということになる。
最終の「急」のところで、川崎君が死んでいく時、「などてすめろぎは人間となりたまひし」という畳句をくりかえすのが印象的である。戦後、天皇が人間宣言をしたのはよかったが、神なる天皇のために命を捧げた特攻隊員のような戦死者はどうなるというのだろう、と作者は問いかけているように思われる。
「陛下はただ人間と仰せ出されしとき
神のために死したる霊は名を剥奪せられ
祭らるべき社もなく
今もなほうつろなる胸より血潮を流し
神界にありながら安らひはあらず」
これが英霊の声の大合唱である。いわば、英霊になりきれない英霊の声である。現代の我々も、英霊になりきっていない戦死者の声なき声に耳を傾けなければならないだろう(雅)